私が彼女たちだったら、あんなふうに笑って働けるかな。の巻。
月収1万円。1日1ドル以下ではないが…。
引き続き、お手伝いさんたちの記録を、もう少し。
前回記事
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mitsume-tobesimple.hatenablog.com
ほぼ自給自足の地方と比べて、首都で定期収入があることは「裕福」なのかもしれません。
普通のお手伝いさんで、月収1万円~といったところでしょうか。ちなみに、学校の先生や警察官の給料も、このくらいの水準のようです。
ウガンダでは農作物は安いので、飢えるというような事態までは考えにくいです。でも、家賃は固定費だし(間借りみたいなレベルも多い)、子ども数人分の教育費は、貯蓄なしには賄えません。
年金のようなシステムもないらしい(※)。
これはもう、決して、断じて、楽ではない。
(※)勤め先がある場合は、給料から積み立てられる。但し、定年後に一括で受け取って、使ったら終わり。盗まれたら一貫の終わり…。
私は間違っていたかも・汗?!
実際、給料日前に困って、1000円くらいの額を借りに来るお手伝いさんもいます。
給料が入ったらすぐ返してくれますが、1000円。たった1000円。されど給料の1割。
それだけ前借りしたら、その月も苦しい。だから結局、借りて返してを繰り返すことに。
私は完全に、アテにされています。
それ自体は良いのですが、帰国が近づいて、さすがに彼女に言いました。
「私はもうすぐ帰国する。他にも頼める人がいなければ、早いうちに探しておいて」
えっという顏をされました。
あれ…できるだけのことをしたい、と思ってやっていたつもりが、結果的には、ただ依存させてしまったのかも。
彼女からは仕事の相談をされたり、生活が苦しいことも聞いていました。ウガンダに来てすぐの付き合いで、信頼もできます。
笑顔で「わかった」と言って、この後はもう、借りに来なくなりました。
自分がやれそうもないことは、人に言えない。
この話を日本にいる友だちなんかにすると、なぜそんなに計画性がないのか、という指摘をされます。私も、思わないではない。
でも、貯蓄どころか、節約もできないぐらい、カツカツ。そんな経験をしたことのない私が、彼女たちの大変さを知ることはできません。
たまにはオシャレしたり、お肉やスナックを食べたり、当然したいはずです。お酒も飲みたいかもしれない。私にとっては、特別でも何でもない、ごくごく普通のこと。
お金を借りに来るお手伝いさんだって、決して贅沢していて生活が苦しくなっているわけではないと、接していてわかります。
だから、依存させてしまうと思っても、頼まれたらまた貸してしまうだろうな。
どうしようもなくなるよりは、とりあえず今しのげることの方が、たぶん大事。
こういうとき、参考にしている考え方について。
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mitsume-tobesimple.hatenablog.com
やっぱり、尊敬すべき女性たち。
「清貧」って、もう昔話の中にしかないと思っていました。
この言葉自体、使ったことがなさすぎて、思わず辞書を確認。
・私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。
・富を求めず、正しいおこないをしていて貧しいこと。
・貧乏だが、心が清らかで行いが潔白であること。余分を求めず、貧乏に安んじていること。
最後の説明が一番ピンと来ます。どうやって身に着く精神なのでしょうね。
お手伝いさんを見ていると、この人たちもそうだなと思うんです。
貧しいというだけで、どれだけ負の感情や行動を引き起こすか。でも、そうさせない何かがあって、いつも笑って丁寧に仕事をしている。
私には、できないな。せめて、何かできることがあれば、やりたいと思う。でも、たいしてないんだよな。
読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。