ねことエコでシンプルな暮らし

モノが好き。収集癖あり。シンプルライフに憧れて、日々奮闘中。

生活水準を下げるには、の巻。

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お金があったら高くなってしまうのが、生活水準です。小遣い→バイト→月給(毎年アップ)と、年ごとに使えるお金が増えると、少ないお小遣いをやりくりしていた かわいい私には戻れません。

そんなわけで、「お給料の全部がお小遣い」の独身サラリーマン時代。財布と相談して、長いこと悩んで、やっとひとつ 選んで買っていたようなものだって「全部、カードで大人買い」となります。そんな自分、かっこいい。

 

でも「何かムリしている、いつまでもこんな生活が続くわけない」という気持ちが芽生えます。会社がいつまであるか、わからない。会社は潰れなくても、自分がクビになるかもしれない。そのときまで会社に甘えて この生活を続けていたら、何もできない自分になる!

当時、途上国に興味を持ち始めていた私。子どもですら厳しい環境の中で生きている。もし自分が そこである程度やっていけたら、便利で裕福な日本に暮らすのなんて楽勝じゃないか。

 

稲垣えみ子さんの「魂の退社-会社を辞めるということ。」に、ずばり書いてありました。

「あったら便利」はいつの間にか「ないと不便」に変わり、最後は「必需品」になる

 

なるほど、生活水準の正体はこの「必需品」の量!「必需品」が多ければ多いほど、消費の規模が大きくなり、生活水準が上がってしまうのだと思います。

まさにサラリーマン時代の私。「忙しい」を言い訳に 気づけば必需品だらけ。自分の身一つでは何もできないから、とにかく必需品の維持に必死で、それは すごくしんどかった。

 

生活水準を下げる、というチャレンジを今と同じ環境でやろうとすると、どうしても「節約」になりがちだと思います。

もちろんそれも大切ですが、続けるのに意思がいるし、これまでの生活の延長線上では大きな変化も得にくい。周りの人は変わらないのに、自分だけなんか大変というのも、私は挫折してしまいそうでした。

 

稲垣さんは、最初から「そもそもないと頭を切り替え」て、電気を使わない生活をされたそうですが、私は途上国という「そもそもない環境に自分を置く」ことで、生活水準を下げようと考えました。現地の生活ができる協力隊は 本当にぴったりで、どんなに不便でも 2年だけ。おしりが決まっていることも、小心者の私が挑戦するには良かったです。

 

余談ですが、小心者以外にも実は私にはハードルがありました。それは「潔癖症」。つり革、手すり、エレベーターのボタン、公共の場の便座等、だれが触ったからわからないモノ。さらに、会社の固定電話、カラオケのマイク等、不特定でなくても多数が触るモノ。触らないようにするか、触ったら自分の持ち物に触る前に手を洗う。

毎日これは、結構なストレスなんです。気にしない人には何でもないことなので、自分だけが ただただ損です。これも、途上国でワイルドな生活(と勝手に想像していた)をすれば、克服できるのではないか という期待がありました。

 

結果、潔癖症パナマで村生活をしている間だけ、なくなりました。気にしてもどうしようもない環境だったので。残念ながら、帰国したらすぐ戻りました。イヤなものはイヤ ということですね。それでも「いざというときは、なんとか耐えられる」ということがわかって、気持ちに余裕ができました。

 

肝心の生活水準。「必需品」が減りました。

必需品がひとつ減るということは、自分自身が何とかできることがひとつ増えるということ。または工夫して乗り越えられるということ。そのことに気付けるのは、必需品依存を抜け出して成長できたようで、とてもうれしいです。ミニマリストの思考にも、通ずるところがあるんじゃないかなぁ。

必需品でなくなったモノたちについては、また別のエントリーに書いていきたいと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

それでは、また。