ねことエコでシンプルな暮らし

モノが好き。収集癖あり。シンプルライフに憧れて、日々奮闘中。

「対等」とはどういうことかで、みんなモヤモヤしている。の巻。

「人はみな平等」ということは、対等なはず。

これを実感できている人が、どれくらいいるのでしょうか。

日本人マダム宅のホームパーティーにて。ウガンダ人のベビーシッターさんが、私たちと同じテーブルについて、同じものを食べていた。

これだけ聞いて、どう思いますか。

 

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私、ウガンダ人の友だちできませんでした。

2年住んで、お手伝いさんやアパートの従業員の人たちとは、仲良くなりました。とても感謝しているし、尊敬もしています。いつも笑顔で、仕事も丁寧。

帰国するとき、何かお礼したいな。ごく自然に思いました。

 

いくらぐらいが適当だろうか」。

これも、ごく自然に思いました。……お金かぁ…。

 

これが日本人同士なら、小さなプレゼントに手紙を添えるくらいでしょうか。しかも、相手の負担にならない程度に。お金を考えるのは、せいぜい冠婚葬祭くらいです。

でも、ウガンダ人になると、真っ先にお金が浮かんだ。それ以外を考えても、圧倒的に喜ばれるのはお金だと思う。

帰国を意識し始めてから、ずっと考えて、モヤモヤしていました。

2年で築いたのは、お金の関係かぁ…。

 

経済的な格差は、埋められない。

言い切ってしまうことに、ためらいがないわけでは、ない。

でも、残念ながら、そうだと思う。

 

ストレートに言ってしまうと、雇っている自分が上で、相手が下。

もちろん、相手をどう扱っても良いという意味ではありません。大切にしたいし、できるかぎりそうしているつもりです。

でも、何というか、そこまで。彼女の仕事に対して、お金を払うという関係がベースにあるから、どうしても「友だち」ではない。

日本は物価が高くて、生活は楽じゃない。条件の良い仕事を見つけるのは難しい。競争社会でストレスフル。

あれこれ苦労を説明したところで、彼女から見た私は「広いアパートに住める外人」なのです。

 

お金じゃない関係も、たしかにあった。

良い関係を築くことはできると、断言します。

でも、途上国で外人である以上、自分は経済的な見返りを期待される側にある。これは避けられない。そう割り切って、少し楽になりました。

 

それでも、協力隊時代に「自分はボランティア」と言えたときは、そうじゃなかった。

たとえ、何万円のカメラやメガネを持っていても。たとえ、そのうち「発展した」日本に帰るとしても。

村でごはんをごちそうになっても、お金で返すという発想を持ちませんでした。どうしたら役に立つ活動で喜んでもらえるかと考えた。

このときは、「対等」だったんじゃないかと、今振り返って思います。

 

なんて気持ち良いんだ!という人もいる。

アフリカ畑のマダムたちは、アフリカ各国に現地の「お友だち」をお持ちです。

隣の国からウガンダに遊びに来ると言うので、一応「お金を送ろうか?」と聞くと、

「自分は友だちに会いに行くのに、何言ってるんだ」と返されたとか。

「そのくらい貯金してるわよ」と言いつつ、自分の商品をどっさり携えて来て、商売して帰ったり。ちゃっかりしっかりしている。

純粋に応援したくなるような、こういう関係は「友だち」ですよね。

 

最初はこんな風に「対等」だったのに、いつの間にか、ある時ふっと、そうじゃなくなることもあるそうです。

そのたびに、自分の行動を振り返って、反省したり、後悔して、みんなモヤモヤする。今度似たようなことがあったら、と考えておく。

 

しばし、ひとりで悩むのも、悪くない。

冒頭のベビーシッターさんの雇い主であるマダムは、家族のように扱いたいのだと言っていました。そういうマダムは他にもいます。

でも、そうすべきでないというマダムもいる。上下関係ははっきり示さなければ、トラブルの元になる。なめられたら、終わり。

これは、厳しいようで、えらそうなようで、その通りなんです。きちんと仕事をしなくなったり、盗難のような残念な結果に繋がるので。

 

ベテラン駐妻マダムもアフリカ大好きマダムも、同じ悩みがあったことを知れて、ほっとしました。それを知ったのが、帰国直前であったことも、すごく良かった。

自分だけでモヤモヤする時間があったからこそ、マダムたちの言葉がよく理解できました。

 

こちらも、ぜひ。

↓ 

mitsume-tobesimple.hatenablog.com

 

読んでいただき、ありがとうございました!

それでは、また。