ねことエコでシンプルな暮らし

モノが好き。収集癖あり。シンプルライフに憧れて、日々奮闘中。

物事をシンプルにして行動に繋げる方法⇒自分事になるまで小さな単位にする、の巻。

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物乞い。そのうち慣れるかと思ったけど、2年近く経っても結局慣れませんでした。

外出するたび、何人も目にします。コンタクトのある信号待ちは、苦痛です。

彼らに対して、何ができるのか。何もしないほうが良いのか。

現時点での私の結論。「できるとき」に、「できるだけのこと」をする。

一般論ではなく、個別に、具体的に、自分事として考えると、意外とシンプルになると思います。

 

物乞いにお金を落とすことに、意味があるのか。

途上国に行けば、誰しもが1度はぶつかる疑問だと思います。

 

お金を恵んであげるなんて、偽善じゃないか。

一時的なお金は、根本的な解決にならないから無意味だ。

お金がもらえるとわかれば、働く意欲を削ぐから逆効果では。

全員に同じようにできないなら、不公平なだけだ。

まず、日本で困っている人から助けるべきではないのか。

そもそも、自分だって裕福なわけじゃない

 

どれもそれらしく見えます。

このどれかひとつでもぶつけられたら、答えに詰まって行動に移せないのではないでしょうか。

 

動かないための言い訳は、いくらでもある。

私は、物乞いの人に対して、ほとんど何もしてきませんでした。

その理由が、先に挙げた「それらしい批判たち」です。

これら全てが論破できない間は、行動しても中途半端になる。だから、何もすべきではない。そう思い込むことで、長いこと思考停止していました。

考えないのだから、答えが出るはずもないのですが。そうしてずっと、自分が正当化できていると思っていました。

答えの出ないことを考え続けるのは、しんどいし面倒です。

行動するには、少なからず勇気やエネルギーが必要です。

つい楽をしたくて、思考停止したら、思考停止中だったこともすっかり忘れていました。

 

答えは超シンプル。できることしか、できない。

今のところ、これ以上説得力のある答えを持っていません。

世の中のあらゆる問題について言えることだと思います。

問題は大きすぎて、複雑すぎて、手に負えない。自分が動いたところで、到底解決はできません。

一般化しているうちは、答えが出ない。具体的にできることが何も見えない。前述の批判も一般的な正論だからこそ、それ以上動けなくなってしまう。

なぜか。たぶん、賢い誰かがやってくれるだろうという答えに逃げるから。

だからもう、一般化をやめることにしました。

自分事にして考えると、行動に移しやすくなります。

自分の手の届く範囲に絞ることは、不公平でしょうか。

私はそう思いません。マザー・テレサぐらい立派な人だって、世界中の人に手を差し伸べられたわけじゃないですから。

自分の周りにいる人に、できるだけのことをする。一般化して何も行動できないよりは、良いと思います。

そう気付いてからも、結果として、物乞いの人に対して、ほとんど何もしていません。

手持ちの小銭の有無から感情面、接触のタイミング等がかみ合えば、何かすることもあります。そうでないときは、できないとき。

 

 ひとりでも、行動まで持って行くことが、とりあえず大切。

自分も何かしたいと思っている人は、意外といると思います。

ひとりでも、それなりに影響力があると思います。

さらに、そういう人が集まれば、結構なインパクトがあると思います。

今のところ、そう考えています。 

 

mitsume-tobesimple.hatenablog.com

 

読んでいただき、ありがとうございました!

それでは、また。