肉の日を逃したけれど、お肉の話がしたい、の巻。
いろいろ思い出すので、食ネタが続きます。
お肉はパックに入っているものじゃない
協力隊時代、お邪魔していたパナマの村。ごちそう作りは、鶏を絞めるところからでした。当たり前ですが、食べようと思ったら、そうするしかない。
隊員だと、自分でできる人も結構いたし、日本じゃなかなかできないからと 積極的に教わる人もいました。村の子なんかは、10歳くらいで普通にやっていました。
でも、私は怖くて!
自分ではできませんでした。
だから、せめて見ているようにしました。なにが「せめて」なのかわかりませんが。
食べるときの気持ちが、全然ちがいます。さっきまで生きていたのに、と思います。
とさかも内臓も、全部食べます。絞めたときに出た血と残った骨も、犬が食べます(本当は鶏の骨は危ないけど、犬もたくましい)。
牛とか豚の屠殺になったら、見るだけでも絶対ムリです。でも、なのか、だからこそ、なのか、いつもちゃんと感謝して、おいしくいただきたいです。
そんなこと考えながら食べたら、おいしくないと思いますか?私もどうかと思っていました。
でも、とても大切なことだと思うのです。
イヤなものは見ないで済む都会の暮らし
養老孟司さんの本が好きです。
先日読んだのは、「養老孟司の<逆さメガネ>」。心当たりがありすぎて、語り口調がぐさぐさ刺さりました。
自 然⇔人口
田 舎⇔都会
無意識⇔意識
現代人は、この対比の右側に偏りがち。「死」という自然は、都会では「ないもの」にされている。知ろうとしなければ、知らないままです。
もう、そのきっかけすらないことが 多いのかもしれません。「本当はあるもの」に、気付くこともできない。
ほかにもたくさん出て来る対比に、なるほどが止まりません。
子ども⇔大人
身 体⇔心
行 動⇔知識
エビの殻むきの記憶
ところで、私の好きな食べ物ランキングの上位に「エビ」があります。
大好きなエビ。でも、足がちょっと虫みたい…。虫は大嫌い。
私が中学生くらいの頃だったか、祖母の家に遊びに行って料理を手伝った日のこと。メニューはエビフライ。「料理になったエビ」は喜んで食べるけど、調理のときに触るのがすごくイヤでした。
おばあちゃんは優しいから、孫の嫌がることはさせまいと 期待したけど甘かった。
「殻むかな、食べさせへん」
がーん!食い意地が勝ってむきました(今もむけます)。
あの時おばあちゃんが伝えたかったこと、わかる気がします。
ドナドナを目に焼き付ける
都会暮らししか したことのない私は、日本でお肉用の動物が運ばれる光景を見たことがありません。
でも、ここウガンダでは、首都でもお目にかかります。
片手(手羽?)をつかまれてぶら下げられた鶏(痛そう)。足を持って逆さ吊りに連れて行かれる鶏(苦しそう)。抱えられてバイクタクシーに乗っているヤギ(危ない)。
確実に愛玩用ではない子たちは、おとなしくドナドナされて行きます。
パック入りのお肉にはない、胸の痛みを感じる光景です。
先ほどの対比の右側にしか当てはまらない私も、その痛みぐらいは 覚えておかなければと思うのです。
なぜかと言われると、うまく言葉で答えられないのですが、それが「殻むかな、食べさせへん」ということだと思うのです。
伝わるでしょうか、伝わりませんよね。もう少し文章力がついたら、また挑戦してみます。
読んでいただき、ありがとうございました!
それでは、また。