みんな空のした。の巻。
海外にいるせいか…出会いや別れについての考えが、壮大になってきた気がします。
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カンパラの空。まだ雨季ですが、晴れて見通せるチャンスをとらえて。
「良い出会いがあったということは、自分が正しく生きられているということ」
「私はそう思ってるんだよね」
協力隊の同期が、何かの拍子にサラッと。
彼女が、生命誕生という 究極の出会いに立ち会う助産師さんだったからか。えらく説得力があって、その時の自分に妙にしっくりも来て、忘れられない言葉です。
出会いという偶然が、これまでの自分を肯定してくれるというのは、何とも不思議な感じがします。
どんな会話の流れでこの言葉が出てきたのか、もう覚えていません。
そして彼女とは、派遣前に2カ月ほど訓練所生活を共にしただけで、その後1度も会っていません。連絡も取っていません。
Facebookで繋がっているけど、年数回しかログインしないレベルの私には、あまり意味のないことです。
どこで何してるかな。
とにかくSNS不精です。
そのせいか、何かしらで繋がっている人も、一期一会でそれきりの人も、あまり違いはありません。
例えば、協力隊時代にお世話になった村の人(電気なし生活)。帰国前に、大人から子どもまで、みんなの誕生日を聞いて回りました。年に1回は必ず思い出したいから、と。
例えば、旅先で出会った人。連絡先どころか、名前も聞かないし、もう顔も思い出せない人もいます。
でも、こうやって思い出すと、会おうと思えば会えるのに会っていない人と、同じような感じがします。
縁と運
どちらにも恵まれているほうだと思います。人と比べようもないですが。
振り返ると、選択や決断をしてきた節目ごとに、良い出会いがありました。
「良い出会い」。私の場合は、その後に影響を与える出会いかなと思います。
次のステップに進むきっかけをくれたり、行動や考え方が変わったりする。色んなことがうまく繋がって、今があるなと思えます。
でも、出会ったときに、それがわかるわけもない。そんなこと考えながら、付き合うわけでもない。むしろ随分経ってから、気付くことのほうが多い。
縁と運としか、言いようがないです。
また会うかもしれないし、会わないかもしれない。
ウガンダでの駐妻生活でも、ステキなマダムたちとの出会いと別れがたくさんありました。
帰国を控え、そろそろ「今日で最後」という人が増えてきます。じんわりさみしい。
ウガンダで会うのは、たぶん最後。また、日本か別の国で会うかもしれない。結局、会わないかもしれない。
でも、思い出すから大丈夫です。その人から受けた影響が、私の一部になっているので。私の中では、それで繋がっているので。
良い出会いがあるたびに、私は同期の言葉を思い出して、彼女のことも考えます。今も書きながら、まさに。
でもやっぱり連絡は取らないのですが。
いつかどこかで再会したら、この言葉を覚えているか聞いてみようかな。
「今日で最後(かもしれない)」のマダムから、お土産にといただいた器。
お互い鳥好きなので、お揃いを選んでくださったそう。かわいい!
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読んでいただき、ありがとうございました!
それでは、また。